『鬼ノ哭ク邦』は、スクウェア・エニックスから新規IPとしてリリースされたアクションRPGです(開発はTokyo RPG Factory)。
生者の世界、死者の世界、二つの世界で紡がれる、此れは”命”の物語ー。
キャッチコピーにもあるとおり、主人公は生者の世界「現シ世」と死者の世界「幽リ世」を行き来しながら、この世に未練を残してあの世をさまよう存在となってしまった「迷イ人(マヨイト)」を救う「逝ク人守リ(イクトモリ)」として、冒険を進めていくことになります。
公式 https://www.jp.square-enix.com/oninaki/
テーマやストーリーには独自性がある
『鬼ノ哭ク邦』の世界では、人が死ぬと新しい命として生まれ変わる「輪廻転生」が理となっています。この理によって、人の死は悲しむものではなく、新たな命として生まれ変わるための喜ぶべき出来事とされているところが、このゲームの世界観の大きな特徴です。
親族や愛する人が亡くなってしまうのは、とても悲しいことです。しかし『鬼ノ哭ク邦』の世界において、人の死を悲しめば死者は転生できずにあの世で迷イ人や魔物となってしまうため、残された人は死を悲しむことが許されず、次の命へと転生できるよう笑顔で送り出すしかありません。
独特な世界の理と、それゆえに生じる人々の葛藤
この独特な価値観やそれにまつわる人々の葛藤が、『鬼ノ哭ク邦』の独特な雰囲気を作り出しています。扱われるテーマが生と死、そして魂の転生であることから、ゲーム全体からも静かでもの悲しい雰囲気が強く漂います。
こういったテーマを扱うタイトルが比較的少ないこともあって、『鬼ノ哭ク邦』のテーマや世界観は、プレイヤーに既視感のない新らしい体験をさせてくれそうな期待を抱かせてくれます。
この世とあの世が地続きに感じてしまうのは欠点
ストーリー全体を見れば、この世とあの世が存在することは、輪廻転生を前提とする世界で暮らす人々の悲喜こもごも、そこから立ち現れる世界全体のうねりとして活かされています。
ですが、プレイヤーとして主人公カガチを操作するレベルにおいては、あの世である「幽リ世」も「現シ世」と地続きのイメージが強く、全く異なる世界を行き来するという感覚は残念ながらあまり感じ取ることができません。
サブイベントを進めることで世界がスケールダウン
理由をイベント面から見ると、この世とあの世を行き来するのは「サブイベントをこなすため」という契機がほとんどで、小さなお使いのためだけにこの世とあの世を行ったり来たりしていることが多いからでしょう。
この世とあの世を行き来することで物語が大きく展開してくというよりも、小さなお使いで気軽に行き来して便利なアイテムをゲットするイベントが繰り返されることで、なんだか物語自体がスケールダウンしてしまう感覚にとらわれてしまいます。
サブイベントの内容も、「あの場所に連れていってほしい!」と言われてファストトラベルでサクッと目的地付近へ移動すれば「どうもありがとう(救済)」で簡単に終わってしまうものが多く、現世のしがらみや未練から転生できずにあの世をさまよっているはずの迷イ人の存在自体、なんだかたいしたことのない軽薄なものに感じられてくることに……。
ダンジョンが結局、長い1本道になってしまっている
またバトル面、ダンジョン探索の面から見ると、この世とあの世を行き来することが立体的な構造になっておらず、結局は「この世A→あの世A→この世B→あの世B」という一本道として構成されてしまうことで、プレイヤーは単調で似通った構造の長いダンジョンを延々と進まされている印象を受けてしまいます。この点も残念なところ。
異なる表裏の世界を行き来するというよりも、明かりが灯ったり消えたりする同一のダンジョンを探索している感覚になってしまうんですよね。
戦闘のアクションはそれなりに楽しい
『鬼ノ哭ク邦』でプレイ時間の多くを割くことになるのは、ダンジョン探索とそこで起こる魔物との戦いです。ジャンルはアクションRPGなので、敵を倒して経験値を稼げば力押しで進みやすくなるものの、基本は敵の攻撃や動きに合わせてボタンを操作してのヒットアンドアウェイです。
難易度選択もありますし、レベルアップすればボタン連打でもそれなりになんとかなるので、アクションが下手な人でもあまり心配する必要はありません。
『鬼ノ哭ク邦』では、往年のMMORPG風にカメラが手前に引いた俯瞰視点で進行します。そのためバトルでは全体の状況が見渡しやすい反面、迫力にはちょっぴり欠ける短所ともなりますが、アクション自体にはそれほどストレスを感じずに遊べます。中盤あたりまでは。
体験版をプレイされた方の感想では、「動きがモッサリしている」「アクションをキャンセルできないので戦いにくい」といったものを多く目にしましたが、これはスキル解放とともに次第に主人公たちが成長していくことによって、大部分は解消されていきます。
スキル解放が完了するまで、ストレスが溜まるのは否定しませんが。
鬼ビ人の個性もうまく設定されている
『鬼ノ哭ク邦』では、主人公は「鬼ビ人(オニビト)」という、ジョジョでいえばスタンドのような存在を憑依させ、その鬼ビ人の持つスキルを活用しながら戦闘を切り抜けていきます。
鬼ビ人の種類は全部で10人程度とそこそこ数が用意されていて、またそれぞれの鬼ビ人のスキルも上手い具合に差別化がなされているので、自分に合った鬼ビ人を選択して育て、敵を攻略していく楽しさを味わえます。
最初から主人公カガチに憑依している鬼ビ人、アイシャ。
鬼ビ人によって超接近戦が得意だったり、逆に遠距離からの間接攻撃が得意だったりするので、場面に応じて切り替えつつ有利な状況を作り上げることもできます。
とはいえ、敵とのバトルには短所も多い
ゲームではクリアまでに何度も何度も戦闘を繰り返すわけで、ここがある程度のレベルでまとまっていないと、終盤へこぎ着けず途中で投げ出してしまいかねません。
『鬼ノ哭ク邦』の戦闘は、これまでのゲームタイトルでも頻繁に採用されていた方式であるため新鮮味には乏しいです。が、そのぶん「よくあるシステム」として爽快感のあるスキルを発動できたり、ボスのパターンを学習した上でのノーダメージクリアを目指したりと、ゲームをクリアするまでそれなりに楽しめる仕上がりにはなっています。
鬼ビ人を変更する動機づけが薄い
とはいえ、とはいえ。残念ながら『鬼ノ哭ク邦』のバトル面には多くの課題を感じてしまったのも正直なところ。
上で鬼ビ人の説明として「場面に応じて切り替えつつ有利な状況を作り上げることもできます」と書きました。
『鬼ノ哭ク邦』ではザコ戦であれボス戦であれ、画面を切り替えることなくボタン操作のみで鬼ビ人を切り替えられるシステムがとられています。
そのため、本来は「こんな攻撃をしてくる敵には、この鬼ビ人!」とか「この技には、この鬼ビ人の技で対抗!」といった判断から、瞬時に切り替えつつ主人公を華麗に舞わせて敵を倒していく爽快感を味わえそうですし、作り手の側もそうやって遊んで欲しかったのではないかと思うのです。
しかし、この部分はゲーム内でうまく機能しておらず、もしかするとここが『鬼ノ哭ク邦』で一番もったいない部分かなとも思えてしまう短所となっています。
大きな理由は、鬼ビ人を切り替える動機づけが薄いこと。最初にカガチが使える鬼ビ人「アイシャ」が万能型であるため、アイシャだけを育てていけばどんな状況でも対応できてしまいます。
またもう一つの理由として、鬼ビ人は育てないと実戦で使い物にならないという点も挙げられます。ダンジョン奥で新たな鬼ビ人が仲間に加わっても、その段階ではスキルが全く解放されていないため、安易に切り替えるとゲームオーバーの危機が高まってしまいます。
さらには、鬼ビ人を育てていないと切り替え時の時間が長くかかる仕様のため、育てていない鬼ビ人はなかなか気軽には出せません。
これだと、せっかく個性的な鬼ビ人を10人も用意してくれていても、なかなか切り替えようという気が起きませんよね。
やはり「このボスにはこの鬼ビ人じゃないと厳しいかな」的なシチュエーションをできるだけ序盤で2,3配置してもらったほうが、切り替えつつ何人かの鬼ビ人を育てて進むというサイクルには持っていきにくいです。
ゲームの序盤に、新たな鬼ビ人が加わって「さあ鬼ビ人を切り替えてボスと戦ってみよう!」というシーンがありますが、この時点で「切り替えるとなんだか戦いづらい、今までの鬼ビ人でいいかな」と思わせてしまうところもまた、根幹となるシステムを紹介する導入としてはまずかったのではないでしょうか。
連続攻撃から抜け出せないのはつらい
これは特にボス戦で顕著なのですが、敵の連続攻撃の1発目を食らってしまうとその後の2発目、3発目……とすべての攻撃が回避できず抜け出せない状態に陥ったままゲームオーバーに至るのも、『鬼ノ哭ク邦』の戦闘面での短所です。
同じダメージを負う攻撃でも、もしこれが1発でガツンと来るならプレイヤー側のストレスはそれほどでもないはずなんですよね。1発目を食らって、2発目からを避けたいのにそれを許されずにただ殴られるのを見ているだけという状況は、だいぶきつい。
敵キャラのバリエーションに乏しい
きついといえば、個人的には敵キャラのバリエーション不足に最もストレスを感じました。
次のダンジョンに行っても、その次のダンジョンに行っても、出てくる敵がとにかく同じ(良くて色違い)
敵によって攻撃パターンが違うので、最初のうちこそ「この敵の、このモーションが来たときには避けてから攻撃したほうがよい」とか立ち回りも考えるのですが、あまりに同じ敵が延々と出現するため途中からはダメージを負うのも構わず力任せに切りまくることが増え、さらには面倒になりすぎて極力逃げるだけになってしまいました。
敵を1体1体作り込むのには労力がかかるのだとは思いますが、「いま、封印されていた神秘の扉が開かれる!」といった重要なイベントの直後に訪れる新鮮味の高いダンジョンでさえ、初っぱなにこれまでと全く同じ敵たちがワラワラ出てくるのには「おいおいッ!嘘だろッ!?」と突っ込みをいれつつ辟易。
ボスも使い回しだったりごった煮だったり
この辺の敵キャラの数が足りていない問題は、後半に行くと残念ながらザコ敵だけでなくボス敵でも顕著になっていきます。
ボスも色違いで済まされてしまったり、さらに進めると色違いのボスを何体かまとめて出現させるやっつけのごった煮バトルまで発生して、マンネリ感が上塗りされていきます。
使い回しの問題とは異なりますが、『鬼ノ哭ク邦』は人の生死と輪廻転生を物語の主軸に置く作品であるにもかかわらず、ボスがロボット的・機械的な動きをするもの、甲虫、甲殻類系が多いです。これによってタイトル全体を通した手触りがゴツゴツと無機質なものになってしまうのはどうなのかなと思うところもありました。
イベントでは意外と演技してくれる
『鬼ノ哭ク邦』は登場人物がデフォルメされているため、イベントは頭身の低いキャラ同士のやり取りで進みます。
ゲームを始める前は、イベント部分については会話するキャラが左右に突っ立っているだけがデフォルトかなと思っていたのですが、この点は各キャラが演技してくれる場面も多く、意外と健闘している印象でした。
物語のテーマとデフォルメの整合性はイマイチ
ただ、本タイトルは人の生死を扱う重い雰囲気のストーリーが展開するため、デフォルメされた可愛いキャラはイメージ的にはやはりミスマッチなのではないでしょうか。
デフォルメされていない頭身の一枚絵やグラフィックもステータス画面などには用意されていて、今回のテーマならこちらをメインに持ってくるほうが、よりプレイヤーに刺さる体験を提供できたのではないかなぁと。
っていうか、イラストとか非常に魅力的なんですよね。どうしてこのままモデリングしなかったんだろ。
終盤が冗長に感じてしまう
最近の、というよりもゲームで遊ぶときはだいぶ前から経験していることですが、『鬼ノ哭ク邦』もまた物語が終盤にさしかかってからの展開やダンジョンが、淡々と長いです。
これはプレイヤーを長く楽しませるためというよりも、プレイ時間が短くなりすぎないようにという理由で(そして早々に中古ショップに売り払われないようにという理由から)、終盤のダンジョンや行き来を要するイベントが配置されていると思わざるを得ません。
特にイベントもなく、仕掛けもなく、同じようなダンジョンに同じような敵キャラがワラワラと出現することは、プレイヤーの時間をそれだけ無駄に奪うことになるため、クリア後にはただただ苦行から解放されたという徒労感が残ることに。
雰囲気や余韻はある、欲しいのは抑揚なんだッ!
最後にもう一つだけ。
『鬼ノ哭ク邦』のストーリーや設定、雰囲気やイベント後の余韻などは、このゲームならではの個性が確かにあります。
見た目やシステムこそ一昔前のアクションRPG的ではありますが、これまでに扱われることの少なかった題材を取り入れつつ、プレイヤーに新しい何かを体験させたいという意図は感じ取ることができます。
しかし、本タイトルは総じて展開が淡々としていることに加えて、どの場面もほとんど同じトーンで進行するため、プレイヤーに迫ってくるものとして個々のイベントが立ち現れにくいのです。
どのイベントも同じ雰囲気、同じノリで、やってることもだいたい同じ(誰かを刺したり斬ったり)ですし……。
題材が題材なだけに、コメディ要素を増やすと全体が破綻する危険もあるため「哀しさを際立たせるための楽しさ」とか「陰のための陽」の配置は難しいところもあるでしょう。
であれば「静を際立たせるための動」とか、別のアプローチを取り入れつつ流れに抑揚を付けることができれば、それぞれのイベントもより鮮やかになったのかなと。
物語途中で見せる場面転換などは、比較的うまくゲームとしてまとまっています。が、総じてのプレイフィールはゲーム序盤の感覚がクリアまで延々と続くだけ。敵もマンネリ、終盤も冗長、これだとUXとしては非常に淡泊な印象に納まってしまいます。
「良い?」と聞かれれば「それほど良いわけでもないかな」と、「悪い?」と聞かれれば「それほど悪いわけでもないかな」と。そう答えざるを得ないバランスで仕上がってしまったことが、作品の背後に感じられるポテンシャル的にはなんとも残念だなと思うしだいです。
私はNintendo Switch版で遊びましたが、エリア移動やイベントのたび長めのデータの読み込みが挟まるので、もしかするとPS4版のほうが多少スムーズに遊べるかもしれません。