THE STILLNESS OF THE WINDは荒野の一軒家に独り暮らす老婆タルマとなり、日々の生活を送るダウンロード専用ゲームです。
このページ後半でゲーム全体の内容に触れるので、予備知識ほとんど無しでプレイしたい人はご注意ください。
日々の行動はプレイヤーに委ねられる
THE STILLNESS OF THE WINDを起動すると、ゲームは英語で始まってしまうのですぐ+ボタンを押して言語を日本語に切り替えておく必要があります。
さて、タルマの暮らす家の周囲には庭と小屋、山羊の飼育施設などがあります。
家の周囲には壊れた風車や電柱が点在するだけで、近隣には商業施設どころか住民さえ一人もいません。みな、街の方へ移住してしまって久しいようです。
タルマの1日は、プレイヤーに委ねられています。バケツを持ってヤギの乳を絞って……
小屋の鍋で煮込めばチーズが出来上がります。
クワを持って畑を耕し、
水をあげることで……
植えた種に応じた収穫物を得ることもできます。
あるいは、家の周囲を散策して野草を採ることも。
家の周囲に住民は全くいませんが、行商のおじいさんだけは数日おきに訪ねてきます。商品は、卵5個をあげる代わりにニワトリ1羽をもらうといった物々交換制です。
届く手紙によってのみ、家族の安否や街の様子をうかがい知ることができます。
荒野の天候は移り、良い天気の日もあれば雨の日もあります。
タルマはおばあさんなので、歩く速度がとにかく遅いです。「今日は畑を耕した後、ヤギの乳を搾って、その後に……」など予定を立てても、それらをこなす前に夜が訪れてしまいます。
日が落ちるとほとんど周囲が見えなくなり、本当に荒野の一軒家なのだなという雰囲気がヒシヒシと伝わってきます。
ただし、画面が暗すぎるので庭から家に入るのも一苦労。プレイする側としては「さすがに暗すぎでは」と思わなくもありません。
↑何か見えます?夜になると世界はここまで真っ暗です。
ビバ!絶望ライフ
さて、だいたいのメディアでは上記のようなゲーム内容の説明に添えて「おばあちゃんの緩やかに流れる日々」「プレイヤーそれぞれのスタイルで過ごすリラックスした田舎ライフ」と紹介されている『THE STILLNESS OF THE WIND』ですが……。
エンドロールまで2周遊んだ感想は・・・全然そんなゲームじゃないです。
※これ以降ではゲーム後半の流れにも触れています。
1日にできることが非常に限られる
まずヤギを繁殖させたり畑を広くしたりするには、1日に動ける時間が短すぎます。タルマおばあちゃんの歩みは遅いので、のんびり進めているとヤギの乳を搾ってチーズにするだけで、場合によっては日が暮れてしまいます。
すると、行商のおじいさんから干し草を買う時間もなければ、井戸から水を汲んで畑の植物にあげる時間もありません。「ヤギ用の干し草が無くなってしまう!」「畑の植物が枯れてしまう!」そして「食べるものが無くなってしまう!」という焦りから、とてもじゃないですがリラックスした田舎ライフは送れません。
必然的に、暗い夜にも残業せざるを得なくなり、このおばあちゃんはどこのブラック企業に勤めているサラリーマンかと。
食料としてのチーズを手際良く作りつつ、行商人が来れば急ぎ入口まで移動し、さらには秒刻みで水を汲んで畑に急ぐなど、バタバタと1日が過ぎてしまいます。
親族から頻繁に届く手紙も、なんと、文章に目を通している時間さえノンストップで時が過ぎていきます。
そして壁に立てかけてあるショットガン!
プレイ開始当初は何に使うのか疑問でしたが、日が経つにつれて夜中に家畜を狙うオオカミが徘徊しはじめます。そうなると、寝る間も惜しんで家畜の番をしなければなりません。
タルマおばあちゃん、もはや一睡も許されず!
もちろん、何をするかはプレイヤーに委ねられているので、これらをすべて無視して家を出て荒野を彷徨う選択肢もあるわけですが……。
活動できる期間が短い
短いのは1日だけでなく、タルマおばあちゃんの動ける期間(つまりゲームのプレイ時間)も思った以上に短いです。
『THE STILLNESS OF THE WIND』では上の画像のように、たとえば雄ヤギと交配させることで子ヤギが生まれ、育ち、乳の取れるヤギを増やすことができます。
子ヤギが生まれたときの嬉しさ!
なんとかヤギを増やし、取れる乳の量を確保し、チーズのストックを増やそうとしても、それをあざ笑うかのように天候は悪くなり、雪が降り、もはや歩くことさえままならなくなってしまいます。
とにかく努力が報われない
仮にヤギの頭数を減らさず、ある程度のチーズを確保して食糧の心配が多少は払拭されたとしても、天候不順が影響するのか、棚にあるチーズが全て駄目になってしまい食べられない事態に陥ってしまいます。
チーズだけでなく、手塩にかけて育てたヤギも、干し草が無くなれば死にますし、そうならないよう一生懸命に行商人から干し草を仕入れても、オオカミがかみ殺し、あるいは砂嵐で体調を崩して死に至ります。
では、助けることの難しいヤギを見捨てて、植物だけに注力したら活路が見いだせるのかといえば、こちらもまた絶望の道が待っています。
圧倒的なまでに迫り来る「死」に抗うすべ無し
もはや打つ手なし。
何をがんばっても、圧倒的なまでに迫り来る「死」によって、生き物の命は平等に奪い去られてしまいます。このゲーム、一生懸命に取り組むほどエンドロールでの虚無感が半端ありません。
あるいは、このゲームの作者はプレイヤーに「避けることのできない死」「間近に迫る孤独な最後」を強く体験させたいのでしょうか。荒野に独り暮らしの老婆がプレイヤーキャラであることから、植物やヤギを育てるのは残された余生のほんのつかの間の些末な出来事に過ぎないのかもしれません。
エンドロール終了後、このゲームは何もすることができなくなってしまいます(少なくともSwitch版は)。
これらを考えると、やはり作者は「避けられない死」「ままならない一度限りの余生」を体験させることに重きを置いているのでしょうか。
いいんです、たまにはいいんですよ、そんな題材のゲームがあっても!
取り扱われるテーマ自体に問題があるとは思っていません。しかし、そうであるならプレイヤーとタルマおばあさんとを重ね合わせる期間をもう少し長めに与えてくれないと、感情移入しづらいためその意図はだいぶ空回りしてしまいます。
この辺は、ゲーム制作者の自身の作品に対する「慣れ」と、プレイヤーの「不慣れ」の隔たりが大きかったのかなと思わされます。
操作方法やゲームのシステムを把握する前に、短い1回限りのプレイが終了してしまうので、感慨に浸るというよりも「これは、バッドエンドなのか!?」と困惑する気持ちのほうが勝ってしまいます。
どこかに微かな希望が残されているのか
前述のとおり、THE STILLNESS OF THE WINDは1日に与えられた活動時間が短く、また作物や家畜の世話ができる季節も短いため、1回のプレイが数時間程度で終わります。
このプレイ時間の短さ考慮すると、もしかしたら行商人の持ってくる使い道のよくわからない不思議なアイテムなどを組み合わせ活用することによって、死から逃れられずとも、暗黒のエンディングだけは避けられる何らかの手段が残されているのでしょうか。上で紹介したような展開も、単なるバッドエンドの1つに過ぎないのでしょうか。
タルマおばあさんに届けられる手紙の内容も、何やら謎めいた展開をみせるところも気がかりです。もしかすると、タルマおばあさんの生活への影響もあるのでしょうか。
しかし、ヒントをつなぎ合わせることで気づく「微かな希望」が残されているにしては、エンドロール終了後に再スタートできない仕様はそれと相容れません。
プレイヤーに体験させたいことは何か
結局、このゲームはプレイヤーに何を体験させたいのでしょうか。おばあさんは余生短いかもしれないけれど、自分の農場のことはちゃんと知っているはずなんですよね。
プレイヤーにもそれを把握できる時間を与えてくれないと、何がどうなっているのか探っている途中でゲームが終了してしまうというか、全てが他人事になってしまうというか。
畑として開墾できるスペースが広く用意されていること、ヤギを繁殖させるための雄ヤギの存在、そして小屋に用意された何十もチーズを保管できるサイズの棚。
プレイの幅を広げる要素が多く用意されているわりに、あまりにも短い期間での生の終焉。操作方法に慣れる間もなく訪れる、強制終了。
それは感情を揺さぶられる体験、あるいは老婆の死に対する哀しみなどではなく、焦燥感、虚無感、そしてなによりテーマ以前のゲーム性に対する戸惑いのほうが大きいものでした。できることが多いなら、それらの概要を知る時間が欲しい。余生の寂寞感を味わわせたいなら、プレイ時間のわりに余計な広がりを持たせすぎ。
うまくマッチできればかなり印象の強い作品になった可能性も高いのですが、その辺が中途半端で消化不良の感が否めませんでした。